栽培スイカの原産地については、様々な説があったが、1857年にイギリス医療伝道者リビングストンがアフリカ探検の際に、南アフリカ中央部、カラハリ砂漠、サバンナ地帯でいろいろなスイカの野生種を発見し、以来、南アフリカがスイカの原産地とされている。栽培の歴史は、原産地に近く、古くから文化の開けたエジプト、インド、ギリシャに始まる。
とくにエジプトでは4000年以前の壁画から、スイカ栽培が実証されており、ギリシャには西暦紀元初期、ヨーロッパ中部からインドまで分布し、中央アジア、中近東などの内陸乾燥地帯を中心に発達してきた。中国へは11世紀のころウイグルから伝来してきたと言われている。スイカは来歴の古い作物である。
日本のスイカの起源についての正しい時代考証がむずかしく、古い記録では、僧義堂(室町時代の五山僧 1388年没)の『空華集』の中にスイカを和する詩があるが、鳥羽僧正(1053~1140)の『鳥獣戯画』にウサギが持っている果物の中に縞皮スイカらしいものが見られる。
これが本当にスイカだとすると、その起源は非常に古く、中国にスイカが入ってすぐ、平安時代の日本に渡来したことになる。唐文化と交流の盛んであった年代から推しても、当時、中国からスイカが渡来していたであろう事は想像に難くない。
江戸時代のスイカについては、『農業全書』(1696)に「たねに色々あり。じゃがたらと云うあり。肉赤く味勝れたり。」とあり、すでにそのころ品種らしきものがあったことを示している。元禄15年(1702)に著された『摂津名所図会』のなかに、津の国に古くから名産のスイカがあり、「鳴尾西瓜」と呼ばれて味豊かな一品だったといわれている。
スイカが換金作物として栽培されるようになったのは、徳川中期以降で、この頃から地方的な品種がかなり明らかにされている。『重修本綱目啓蒙』には、もっとも普通のものは「蛾蝟子」や「南京」と呼ばれ、外皮黒緑色、円形、赤肉種であると書いてある。これが後年になって俗に言われた黒皮スイカであろうか。
地方的には奥州津軽(青森県)に産する白皮黄肉、赤種子種、勢州(三重県)には黄肉種、木津(京都府下)には「木津西瓜」と呼ばれる黄皮の朱肉種がある。またある地方には、小型で長形の嘉宝のような品種がすでに栽培されていた。西瓜の経済性について、『津木六部耕種法』のなかに、「反当利益が、稲一両二分に対して西瓜十両」とあり、徳川時代には、スイカはすでに一般販売され、品種意識もかなり進んでいたように思われる。
明治に入り、種苗導入事業としアメリカ合衆国から「アイスクリーム」、「マウンテンスイート」、「ラットルスネーク」等の品種が導入され、明治末期にはロシアから「スイートサイベリアン」、大正時代には中国から「嘉宝」、アメリカ合衆国から「甘露」が導入され土着して行った。その中で自然交配や選抜が素朴な型で繰り返され、日本におけるスイカの品種改良の祖先となる「素材」が育ってきた。
特に奈良県では、商品性の高い「権次」や「アイスクリーム」が奈良の風土に順化し、広く栽培されていた。そしてこれらの自然交雑の中で「大和」が誕生した。
大正12年、奈良県農業試験場が組織的にスイカ品種改良事業を開始した。それは奈良県に在来する「権次」と「アイスクリーム」などの自然交雑系「大和」を県内24ヵ所から収集し、優良系を選抜、純系淘汰を行い、大正15年に「大和2号」、「大和3号」、「大和4号」を育成し、近代的スイカ品種の基礎を築いた。
さらに昭和3年には、この「大和3号」と「甘露」を組合わせた一代交配、「新大和」を育成した。しかし、F1品種は採種に手間がかかるため、固定種としてのスイカ品種が求められ、さらに一代交配「新大和」の後代から「新大和1号」、「新大和2号」、「新大和3号」、「旭大和」が育成された。
畑台地が広く、早くからスイカが普及していた千葉においても、千葉県農事試験場が大正13年から品種改良を開始した。まず、「大和」から「千葉1号」を分系し、「甘露」との交雑育種を行い、昭和6年からいわゆる「都系」といわれる「都1号」、「都2号」、「都3号」の品種育成に成功し、関東地方の近代品種の基礎となった。
スイカと夏と庶民、この三角関係は、スイカが大陸から渡来して庶民の食べ物になった江戸時代から、切っても切れない縁だといえよう。現在は、アメリカや中国から導入されたものと、日本で育成したものをあわせると150種以上の品種がある。大分すると紅肉、黄肉、白色種の3つがあるが、紅肉種が90パーセントを占める。
植物ホルモンを使ったはじめての種子なしスイカの誕生に成功したのは、昭和10年、その後研究を重ねて品種の良い種子なしスイカになったのは戦後間もない昭和22年のことである。しかし、このスイカの致命的な欠点は、晩生で、スイカがあきられる頃にならないと、出てこないことである。家庭用冷蔵庫で冷やしやすいことを目標にして、昭和34年に小玉スイカが誕生した。時代が変わり、大きいことがいいことではなくなった。
現在は、スーパー等での大玉スイカのカット売りが主流となり、安心して購入できるようになった。スイカは庶民の生活と共に変化を遂げてきたといえよう。
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